三沢村民の献身的な支援

三沢の住民は挑戦機が淋代に飛来するたびに、当時の村長 小比類巻要人(こひるいまきかなめ)氏の指揮のもと、一丸となって献身的な支援を続けました。無報酬による労力奉仕活動は、滑走路の整備から滞在環境の整備まで多岐に渡たります。何とか計画を実現させたいと願い、本来の仕事を犠牲にしても全力でサポートする姿は、三沢の住民がもつ優しい気持ちと言えます。

市民が語る!【当時のエピソード】

小比類巻雅祥さん (こひるいまき まさよし)

当時の村長のひ孫、そして歴史を後世につなぐ語り部として様々な形でご尽力いただいている小比類巻雅祥さんに挑戦飛行を支えた三沢の住民たちについて、お話を伺いました。 小比類巻さんは、80周年記念の際に製作したミス・ビードル号の再現機づくりにも参加いただいています。

祖母から伝え聞いたこと、そこから感じた私の感想をお話しさせていただきます。
ある日突然、「飛行機で海を渡る!」と言う外国人が現れたそうです。外国人に会うことも珍しい時代に、それはとてもビックリする出来事だったと思います。そして、小さな村の出来事としては一大事業です。村長の指揮のもと、皆で応援して必ず成功させようと言うことになったと言います。

私の生まれた家は、挑戦飛行を行う飛行士の宿泊先として受け入れていました。まだ旅館やホテルがなかった時代です。祖母は、滞在中の食事などのお世話する一員として動いていました。

まだ三沢で自動車が普及していない馬車の時代に道路整備・滑走路整備など、誰がどのように役割を果たして行くのか解決すべきことは沢山あったと思います。
滑走路の整備に当たっては、地ならしのためのローラーが必要となり、当時青森県庁が唯一所有していたローラーを借りてきたそうです。

当初、誰も失敗することは頭にありませんでした。しかし、挑戦の回数が増えるにつれて村人のモチベーションにも少なからず影響はあったと思います。それにもめげず、挑戦者が現れる度に何度となくサポートし続けて送り出した三沢の人々の行動は、凄いと思います。
仮に、現代に置き換えると、淋代海岸から宇宙に出発する計画を支援しているような感じだと思います。

次の世代へメッセージ

「熱意を持って応援する人間」がいると、その熱は伝わっていき、形となります。「夢を語る人間」、そして「賛同する人間」になってもらいたいですね。